日本サッカーの父は?
日本サッカーの父は “ デッドマール・クラマー ”
日本サッカー界初の外国人コーチであり、
日本代表の基礎、日本サッカーリーグの創設
にも尽力された人です。
1964年の東京オリンピックを控えた代表チームを
指導するために来日しています。
そのデッドマール・クラマー氏は、
当時の日本サッカーをこう表現しています。
日本の選手はボール受け、トラップをして、
前を向いてシュートをするのに、
イチ、ニ、サンという調子だ。
ドイツの選手は、イチ、ニでやる。
しかし、ブラジルの選手はイチでやってしまう。
当時の日本サッカー界は、
1968年のメキシコオリンピックで
銅メダルを獲得するまで、
様々な改革が行われていたと思います。
選手の意識改革もそのひとつでしょう。
現代の高校生でも、当時のドイツ代表は○○高校、
ブラジル代表は□□高校と置き換えれると思います。
日本代表を大村高校とするなら、
ドイツ代表、ブラジル代表に追いつくために、
身に付けるべきことは何なのか。
“ 得点をし、失点を防ぐ。 ”
という目的のためにできることを考え、
個々の成長へとつなげてほしいと思います。
3月は、攻めるんですよ。
相手だけでなく、自分自身も!
守りに入らず、常に前を向いていきましょう!